八丈島旅行記その3 (歴史編)
2008年7月27日 旅行八丈島。
それは、流人の島。
前述の「平成お徒歩日記」に八丈島も載ってたから、
かなり関心がありました。
とはいえ、あの本読んでも、
「近藤富蔵って誰!?」
「宇喜多秀家も流されてたの!?」
ましてや「為朝って????」みたいな状態でした(苦笑)
で、さっそく行きましたよ。
歴史民俗資料館に。
恐らくは「絶対もと小学校だったでしょ?」的な古びた木造の建物。
当然クーラーなんてものはなく、
窓全開。ご自由にうちわをお使いくださいってなもんですよw
まあ暑さはいいんです、暑さは。
でもね。すごかったのは「虫」。
ガンガン刺されたらしくかゆいのなんのって(T_T)
いまだにかゆいわ、赤くなってるわでもう大変。
犯人がぶよなのか、島蚊なのか、クラゲなのかもはやわからない。
まあそれはそれとして。
この流人がらみの歴史の深いこと深いこと。
二人して食い入るように資料や展示、説明を見まくる。
いろーんなことが判明。
たまたま前日に為朝伝説についてテレビでやっていたのもあって、一気にアスペモード!!
もう箇条書きしちゃいます。
・島流しは死罪の次に重い罰であること。しかし、佐渡島ではなく八丈島に決まると皆喜んだらしい。極楽であると。
ちなみに八丈ではわりと野放しで「自分の才覚で生きていけ」というような感じだったようです。自由ですよね?でも飢饉や天才などで亡くなる人も少なくはなかったらしい。
・最初の流人は関ヶ原の合戦で豊臣側についていた宇喜多秀家。豪姫(たしか宮沢りえが映画やってた)という妻を残して50年も八丈で暮らし、八丈で亡くなった。
・近藤富蔵は、隣家の一家を斬殺した罪で流される。この人がスゴイ人で、八丈島の人以上に島を愛し、様々なことを調べ、島の史伝を書き上げるのです。一度赦免になったのだが、また戻ってきて島で一生を送った。
・で、為朝なんだけど、史実なのか伝説なのか非常にあいまい。(なんせ時代が時代だから)暴れん坊の彼はどうやらまず大島に流された。したらあっというまに伊豆七島を制圧してしまった。
でも一応史実では大島で自害したことになってる。
が!どうやら八丈にも来ていたみたい。島の数々の伝説がそれを裏付けてる。「為朝凧」という細ながーい凧があるのもそうだし、為朝神社が三か所もあるの。なして?これ間違いなくいたでしょ?もっとすごいことに昔々八丈は女性しか住んでなくて、青ヶ島は男性しか住んでいなかった(これは本当の話)。で、為朝は八丈で結婚して子供を作り、男女がともに暮らす良さを広めたんだって。
もっと言っちゃうと、海を渡り琉球(沖縄)へ行き、自分の息子を最初の王にしたとか、さらに東北へも渡り、頼朝に追われていた義経と手を組んでいたとか。(北と南から鎌倉を攻めるという寸法です。このあたりはTV情報っす)恐るべし、為朝!!!!
もうあなたに夢中です(*^_^*)←キモイ。
・いくら八丈が罪人の極楽とはいえ、やはり島に閉じこめられてるのにかわりはない。というわけで脱走を企てる輩が出てくる。
絶海の孤島だからもちろん舟でね。これを「抜舟」という。もう命がけよ。つかまったら死罪だもん。で、結局江戸までたどり着いたのは一件だけ。吉原遊女の「花鳥」である。あとは難破して海に沈むか、お役人に捕まってひどい目に合う。しかし、この花鳥も結局見つかり小塚原で死ぬ。
なんかさー、はまったね。
相方も自分も自閉的に偏った物事に興味持つんだけど、
今はコレ。流人です。
「抜舟」の場所に足を運び、富蔵さん、秀家さんのお墓にお参りをし、為朝神社にもGOですよ!!
このハマリ具合はヤヴァイっす。
しばらくは八丈でもちきりです(アタマが)
それは、流人の島。
前述の「平成お徒歩日記」に八丈島も載ってたから、
かなり関心がありました。
とはいえ、あの本読んでも、
「近藤富蔵って誰!?」
「宇喜多秀家も流されてたの!?」
ましてや「為朝って????」みたいな状態でした(苦笑)
で、さっそく行きましたよ。
歴史民俗資料館に。
恐らくは「絶対もと小学校だったでしょ?」的な古びた木造の建物。
当然クーラーなんてものはなく、
窓全開。ご自由にうちわをお使いくださいってなもんですよw
まあ暑さはいいんです、暑さは。
でもね。すごかったのは「虫」。
ガンガン刺されたらしくかゆいのなんのって(T_T)
いまだにかゆいわ、赤くなってるわでもう大変。
犯人がぶよなのか、島蚊なのか、クラゲなのかもはやわからない。
まあそれはそれとして。
この流人がらみの歴史の深いこと深いこと。
二人して食い入るように資料や展示、説明を見まくる。
いろーんなことが判明。
たまたま前日に為朝伝説についてテレビでやっていたのもあって、一気にアスペモード!!
もう箇条書きしちゃいます。
・島流しは死罪の次に重い罰であること。しかし、佐渡島ではなく八丈島に決まると皆喜んだらしい。極楽であると。
ちなみに八丈ではわりと野放しで「自分の才覚で生きていけ」というような感じだったようです。自由ですよね?でも飢饉や天才などで亡くなる人も少なくはなかったらしい。
・最初の流人は関ヶ原の合戦で豊臣側についていた宇喜多秀家。豪姫(たしか宮沢りえが映画やってた)という妻を残して50年も八丈で暮らし、八丈で亡くなった。
・近藤富蔵は、隣家の一家を斬殺した罪で流される。この人がスゴイ人で、八丈島の人以上に島を愛し、様々なことを調べ、島の史伝を書き上げるのです。一度赦免になったのだが、また戻ってきて島で一生を送った。
・で、為朝なんだけど、史実なのか伝説なのか非常にあいまい。(なんせ時代が時代だから)暴れん坊の彼はどうやらまず大島に流された。したらあっというまに伊豆七島を制圧してしまった。
でも一応史実では大島で自害したことになってる。
が!どうやら八丈にも来ていたみたい。島の数々の伝説がそれを裏付けてる。「為朝凧」という細ながーい凧があるのもそうだし、為朝神社が三か所もあるの。なして?これ間違いなくいたでしょ?もっとすごいことに昔々八丈は女性しか住んでなくて、青ヶ島は男性しか住んでいなかった(これは本当の話)。で、為朝は八丈で結婚して子供を作り、男女がともに暮らす良さを広めたんだって。
もっと言っちゃうと、海を渡り琉球(沖縄)へ行き、自分の息子を最初の王にしたとか、さらに東北へも渡り、頼朝に追われていた義経と手を組んでいたとか。(北と南から鎌倉を攻めるという寸法です。このあたりはTV情報っす)恐るべし、為朝!!!!
もうあなたに夢中です(*^_^*)←キモイ。
・いくら八丈が罪人の極楽とはいえ、やはり島に閉じこめられてるのにかわりはない。というわけで脱走を企てる輩が出てくる。
絶海の孤島だからもちろん舟でね。これを「抜舟」という。もう命がけよ。つかまったら死罪だもん。で、結局江戸までたどり着いたのは一件だけ。吉原遊女の「花鳥」である。あとは難破して海に沈むか、お役人に捕まってひどい目に合う。しかし、この花鳥も結局見つかり小塚原で死ぬ。
なんかさー、はまったね。
相方も自分も自閉的に偏った物事に興味持つんだけど、
今はコレ。流人です。
「抜舟」の場所に足を運び、富蔵さん、秀家さんのお墓にお参りをし、為朝神社にもGOですよ!!
このハマリ具合はヤヴァイっす。
しばらくは八丈でもちきりです(アタマが)
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